ホノルルマラソンOHANA

みんなでトーク!交流広場

2024/08/19 18:28

訃報です。ホノルルマラソン連続47回参加のレジェンド中のスーパーレジェンドであるミュージシャンの高石ともや氏が一昨日、すい臓癌で亡くなられました。享年82歳。ご冥福申し上げます。

昨年も元気な笑顔でホノルルマラソンを完走されて今年に入り3月に体調を悪くされてから、あっという間のことでした。本当にすい臓癌はサイレント・キラーです。症状が出てからではすでに末期状態で転移も始まっています。人間ドックなどでも見つかりにくいです。とかく我々はマラソンしているから、健康や体力に自信があると過信しがちです。それが思わぬ不幸を招いたりします。ですので、これまでなかった不調を感じた際は即、診断した方がいいでしょうね。それが他の難病に対しても信号です。

私はこのOHANAでも高石さんに関して数多くの投稿をしてきました。また高石さんとは音楽関係でも50年来の交流がありますし、ホノルルでも幾度となく歓談していました。とにかく輝かしいマラソン史に加え、ホノルルマラソンをこの方なくして語ることはできません。そこで事務局に提案ですが、高石さんの功績を称えて、サイト等で特集を組まれてはいかがでしょうか。これから参加するランナーの方々にも大きな励みになると思います。

葬儀は身内だけで執り行われますが、後日「お別れの会」がもたれます。安らかにお眠りください。Please rest in peace.

参考:高石ともや事務所サイト
http://www.tees.ne.jp/~isawada/index.html

14件のコメント (新着順)
Makopie
2024/12/07 07:03

昨日エントリーに行ってきました
在りし日のしかも笑顔のともやさんが印象的でした


Resilience
2024/12/07 07:47

こんにちは。

高石ともやさんのメモリアル企画、行かれましたね。そこに展示されているくらいでは、とてもともやさんのすべてを語ることはできませんが、生前の功績を皆さんが偲び、称えていらっしゃる様子が、横にある大きな寄せ書きが物語っているようですね。しかも海外の方たちにも理解されていて、この企画、大成功だったと思います。

KojiSD
2024/12/01 14:41

アメリカ、カリフォルニア州、サンディエゴ在住の武田です。
今年もホノルルで高石ともやさんに会えるかなあ、と検索して本日訃報を知りました。
しばらく、愕然としてしまい、えええ、そんな、、、と信じられませんでした。
高石ともやさんのご冥福を心よりお祈りいたします。
高校生の頃に初めてギターを持ってステージに立って唄ったのが「海に向かって」という高石ともやさんとナターシャセブンの日本語の曲でした。 あれから48年、今思えばずっと高石ともやさんのあとを追いかけていたのかなあ、というような気もします。 高石ともやさんに初めて会ったのは、2002年のナッシュビル・カントリー・ミュージック・マラソン。 
マラソンは苦しいスポーツと思っていた自分に、走ることの楽しさを教えて頂きました。 
あれから、私のフルマラソンも158回。 毎月の連続フル・マラソンも今年のホノルルマラソンで、ちょうど100回目。  走れる限りは、フル・マラソンをゆっくりでも一歩ずつ、これからも走っていきたいと思います。 今年もお会いできるのを楽しみにしていたのに、本当に無念の思いでたまりません、、、


Resilience
2024/12/01 16:24

KojiSDさん

こんにちは。初めまして。
コメントありがとうございます。

そうでしたか。過去にともやさんと深い親交があられて、さぞかし心残りのことだとお察し致します。つい先月『高石ともやさんお別れの会』が、東京と京都で行われたばかりでした。ともやさんとの思いで話は、尽きることがありませんね。

私はマラソン始める前に、学生の頃からアメリカ民謡に精通し、特にブルーグラスにはまりナッシュビルにも行ったことがありまして、ともやさんも愛するこの手の音楽を共に楽しんでいました。もう退きましたが、現役時代はトウモロコシ関連の仕事で毎年、アイダホやウィスコンシン等を訪問していました。ハワイには2年間の在住経験があり、その後しばらくしてホノルルマラソンに傾注していきました。

ところで、凄いマラソン経歴をお持ちですね。もうレジェンドでいらっしゃる。しかも現在進行形。。。この先どんな金字塔が打ち立てられるか。。。誰かに話したくなるくらいです!

永年ホノルルマラソンで走りと演奏でパートナーであったLeoさん(スーザフォンを持っている方)が、コンベンションセンターで7日(土)15:30より『ともやさん追悼ステージ』として演奏されます。もしお時間ございましたら是非、お越しください。私もそこに行っております。その際はお話しできればと思います!

KojiSD
2024/12/02 11:38

Resilienceさん、ご丁寧なお返事をありがとうございます。
ブルーグラス、ナッシュビル、最高ですね。
実は、私くしも大学時代にブルーグラスをやりたく、京都の下宿の仮押さえまでしたところで、結果的には名古屋の地元の大学生となり、ブルーグラス好きな音楽仲間には縁がなく、フォーク、フュージョンの大学での音楽活動となりました。
このコミュニティーで昨日、Leoさんのともやさん追悼ステージ』の情報を得ましたので、土曜日に参加せて頂く予定です。
Resilienceさんにもお会いできるのを楽しみにしております。
なお、ホノルルマラソンは、今回で13回目、数年前から高石さんと一緒にいらっしゃるLeoさんにも毎年お会いしております。
どうぞ、よろしくお願い致します。
武田

ひろなお
2024/08/29 10:33

高石ともやさんのことを知ったのはホノルルマラソンでした。
最初は誰なんだろう?でした(笑)が、レジェンドな人だったのか!となりました。直接お話をしたことはないのですが、ステージで楽しそうに話して歌われている姿に元気を貰っていました。
ご冥福をお祈りします。
レジェンドまであと21年頑張ろうー!


Resilience
2024/08/29 17:52

こんにちは。
コメントありがとうございます。

高石ともやさんは出場回数もさることながら、自己ベストが2時間45分台であったり、アメリカ横断レースにも出場されたりと、優れた健脚の持ち主であられましたが、ホノルルマラソンでは、「人を蹴落とすマラソンではなくて、走った人みんなが良かったねと楽しめるのが最高なのです。人と比べる幸せなんていらない。自分で自分の幸せの価値観を作る。。。」と。市民マラソンの本質を達観されていました。

どうぞ末永くホノルルマラソンを愛し、その素晴らしさ喜びを多くのランナーにお伝えください。

添付画像:ともやさんがアメリカ横断4700kmを64日で完走した時の様子。

Makopie
2024/08/25 09:54

高石ともやとザ・ナターシャ・セブンはわが青春の1ページ。
学生時代から地元京都で行われていた、祇園祭の「宵々山コンサート」ではチケットの購入から当日まで楽しい思い出が有り余るほど…たとえ雨が降ろうと、今は亡き「円山公園野外音楽場」は熱気で満ち溢れていました。
当時はラジオから聞こえてくる声を頼りに励まされ学んだ記憶が鮮明のよみがえります。
謹んでご冥福をお祈りします。


Resilience
2024/08/25 13:28

こんにちは。
コメントありがとうございます。

第一回の「宵々山コンサート」が1973年で、それから30年ほど続いた日本の代表的野外コンサートの一つをともやさんらがプロデュースされて、毎回多才なゲストを迎えていました。当時からのフォークファンのみならず、現代の若者たちにも新鮮なメッセージを送られ、共感の輪が大きく広がりましたね。

Makopie
2024/08/27 13:26

毎年祇園祭が近づくとコンサートの風景がよみがえります
チケットが取れないときは網の外側で耳を傾けていたのを思い出しました
何もかもが楽しい青春の思い出です
どうか安らかにそしてホノマラには天国から応援してください!

Resilience
2024/08/27 16:49

こんにちは。

ここ10年程はこの画像の右の方、スーザフォンという楽器を持って一緒にともやさんと走られているLeoさんからの情報で、今年はこの楽器の音出し口に大きくともやさんの顔パネルを張り付けて、高石ともやメドレーを演奏しながら走るそうですので、お見かけの際はどうぞお声掛けでも。。。

Makopie
2024/09/13 15:48

了解しました
ぜひお会いして、ともやさんの笑顔の写真と一緒に走りたいです!!

旅ランナー
2024/08/19 23:33

ホノマラのレジェンド高石ともやさんの訃報とても残念です。
今から8年前にホノマラ連続40回参加記念のパーティに現地でResilienceさんと一緒に参加した事が思い出に残っています。
高石ともやさんはホノマラ日本人参加最多記録を保持され私の目標でした。
私はこの記録を更新する事で高石ともやさんへの供養になるかなと思いこれからも参加し続けようと思います。
高石ともやさんお疲れ様でした。
そしてホノルルマラソンの楽しさを日本人ランナーに伝えて頂きありがとうございました。
ご冥福をお祈り申しあげます。


Resilience
2024/08/20 00:18

こんばんは。コメントありがとうございます。

そうですね。あの時のパーティー、確かカイマナビーチホテルでの一時。楽しかったですね。あのような普通のライブではなく、ご本人との距離が近いと皆さん親近感を持たれたと思います。。画像添付します。

旅ランナーさんは参加30回目も目前ですね。今後も益々のご活躍を期待しております。

私も学生時代に音楽をやっていましたので高石ともやさんは当時からお名前やその音楽は存じ上げていましたが、ホノルルマラソンを50回大会時で45回も走られていたことはResilienceさんからご紹介を受けるまで知りませんでした。音楽でもマラソンでも巨星の如く我々を導いて下さったと思います。50回大会では残念ながらお会い出来ませんでしたので今回はお会いできるとかと楽しみにしておりましたが、それも叶わず本当に残念です。謹んでお悔やみ申し上げます。


Resilience
2024/08/19 23:09

こんばんは。コメントありがとうございます。

ともやさんは北海道雨竜町のご出身で、今日は北海道のローカル電子版新聞でも一斉に報じていましたね。ご本人は故郷への思いもひと際強く、何か貢献しようと札幌の小学校の校歌やクラーク記念国際高校の校歌を作られました。特に後者は甲子園でも時々聞くことが出来ました。

やはり鮮烈デビューの「受験生ブルース」は衝撃的でしたね。歌詞の中に♪人よ人よに人見頃、富士山麓にオウム鳴く。。。♪なんて、これって√2=1.41421356, √5=2.236920679のこと。ユニーク過ぎました。60年代の社会派フォーク界の台頭は、鮮烈なイメージが残っています。

Makopie
2024/08/27 13:29

ルートの覚え方の歌詞にはまいりました
なんといまだに空で口ずさめました
本当に偉大ですね(^_-)-☆

chiiko
2024/08/19 20:51

私の姉が大ファンで、ニュースで知りショックを受けています。
ともやさんが毎年ホノルルマラソンに参加していると聞いていたので今年会えるかなと楽しみにしていたのでとても残念です。
空の上で坂庭さんと会って、また一緒に歌えるねと言っているのかな。
御冥福をお祈りします。


Resilience
2024/08/19 22:13

こんばんは。コメントありがとうございます。

”高石ともやとザ・ナターシャ・セブン”のメンバー、木田たかすけ、坂庭しょうごについで3名が亡くなり、城田じゅんじだけになってしまいましたね。彼のバンジョーは今も健在です。となれば、今年からともやさんの代わりにホノルルを走ってくれないかと、マジ思っています。かつては70年代に、4人全員で走ったこともありました。

正彦
2024/08/19 20:19

言葉が見つかりません!毎年高石さんと記念撮影するのが楽しみでした!
昨年も記念撮影していただき来年もハワイで会いましょうと声をかけさせていただいたら満面の笑顔でまたねと言っていただけました!
今年64歳になりますが高石さんの年齢まで私もホノルルマラソンに参加できるよう頑張ります!
安らかにお眠りください!
合掌!


Resilience
2024/08/19 22:03

こんばんは。コメントありがとうございます。

そうですね。人柄がよく表れる方でしたし、常に気配りを感じていましたね。どうぞ末永くホノルルマラソンにご参加ください。共々にその魅力を伝えていければと思います。

こんばんは。
私はかなり前から高石ともやさんの音楽のファンでしたが、ホノルルマラソンにほぼ全大会に出られていることは知りませんでした。
謹んで、高石ともやさんのご冥福をお祈りいたします。


Resilience
2024/08/19 21:58

こんばんは。コメントありがとうございます。

そうなんですね。ホノルルに限らず、一つの大会に46回も出場し続けるなんて、他に類を見ないのではないでしょうか。継続は力以上のものをもたらしたと思います。ご本人の功績は計り知れないですね。

LoveLEVI
2024/08/19 20:10

去年は自分もバタバタしてステージを見る事は出来ませんでした🥲
母の時代から有名だった高石さん。。 師匠とhonolulumasakunさんとお会いできた一昨年のステージはビデオで母に繋げて一緒に楽しんでいました。
毎年bibの数字が増えていくのを見ていたかったです。
ご冥福をお祈りいたします。


Resilience
2024/08/19 21:54

こんばんは。コメントありがとうございます。

そうですね、初めての出会いと言うものは印象に残るものですね。いきなり会うや否や、LINE繋がりを要求されたりとか。。。。(笑)。

今年はご本人は出場回数の”48”のbibを付ける予定でした。本当に永久欠番ものです。